今回の芸術の教養のテーマは、「アート作品の見方」についてです。
みなさんはどのようにアート作品を見ていますか?おそらく、多くの方が「作者がどのような意図でその作品を作っているかを理解する」見方をしているのではないかと思います。
しかし、アート作品の見方ではそれだけではありません。
このことについて今回学んでいきたいと思います。
このテーマについて教えてくれるのは、末永 幸歩(すえなが ゆきほ)さん著書の「13歳からのアート思考」のCLASS3「「アート作品の「見方」とは?」です。
まずこの部分を要約し、アート作品の2つの見方についてみていきましょう。
目次
【要約】「13歳からのアート思考」 CLASS3「「アート作品の「見方」とは?」
ワシリー・カンディンスキーの≪コンポジションⅦ≫
本CLASSでは、ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)が1913年に発表した≪コンポジションⅦ≫という作品が紹介されます。
さて、この絵には何が描かれているのでしょうか。
≪コンポジションⅦ≫
実は、この絵には具象物が描かれていない作品なのです。
ワシリー・カンディンスキーがなぜこのような作品を作ったのか見ていきましょう。
≪コンポジションⅦ≫が表現しているもの
ワシリー・カンディンスキーはモスクワの裕福な家庭に生まれ、ピアノやチェロを演奏し、音楽に親しんでいました。
大学では法学と経済学を学び大学教員の道を歩んでいました。
そんなとき、モスクワでたまたま訪れた博覧会でクロード・モネの≪積みわら≫という作品に出会い、その作品に惹きつけられました。
ワシリー・カンディンスキーはこの≪積みわら≫に「何が描かれているかわからず困惑した」そうです。
しかし、その作品に惹きつけられる。
その理由を考え、ある結論に至りました。
「『なに』が描かれているかわからなかったのに、惹きつけられたのではなく、『なに』が描かれているかわからなかったからこそ、惹きつけられたのではないだろうか」ー13歳からのアート思考 P152
この作品の出会いをきっかけにワシリー・カンディンスキーはアーティストに転向。
自分が≪積みわら≫に魅了されたときの感覚を再現しょうと追及しました。
そこで目をつけたのが音楽。
ワシリー・カンディンスキーは音を色に置き換え、リズムを形で表現して「具象物が描かれていない絵」を完成させました。
それが、≪コンポジションⅦ≫という作品なのです。
アート作品に対する2つの見方
上記「≪コンポジションⅦ≫が表現しているもの」で説明したことは、その作品をつくったワシリー・カンディンスキーの見方です。
筆者である末永 幸歩(すえなが ゆきほ)さんは、アート作品には2つの見方があると主張します。
<アート作品の2つの見方>
①背景とのやりとり
②作品とのやりとり
「①背景とのやりとり」は、「作者の考え」や「作者の人生」「歴史的背景」など作品を背後から成り立たせるさまざまな要素とやりとりをすることです。
一方「②作品とのやりとり」は、アーティストの考えを考慮せずに鑑賞者が作品とやりとりをすることです。
筆者である末永 幸歩(すえなが ゆきほ)さんは、アートを鑑賞するときは多くの人が「①背景とのやりとり」しか行わず、「②作品とのやりとり」を行っていないことを指摘します。
音楽鑑賞の場合は多くの人が「②作品とのやりとり」を行っているにもかかわらずです。
「①背景とのやりとり」と「②作品とのやりとり」という2つの鑑賞法にはそれぞれ違った面白さがあり、よりアートを充実させてくれます。
アート作品の2つの見方についての考察
アート作品には2つの見方があることがわかりましたね。
①背景とのやりとり ②作品とのやりとり おそらく、多くの方は「①背景とのやりとり」のみを行っているのみで「②作品とのやりとり」をしていないのではないでしょうか。
私もアート作品を鑑賞するときは「①背景とのやりとり」しかできていませんでした。
正直それは、その作品の「正解の鑑賞法」を勉強しているようであまり楽しいものではありませんでした。
しかし、今回「②作品とのやりとり」という鑑賞法があることを知り、もっとアート作品について自由に考えてよいのだという安心感が芽生えました。
これまでのアート作品に対する凝り固まっていた視点がなくなりました。
アート作品は「たくさんの見方の正解があってよい」ものです。
また、そのように「たくさんの見方」を可能にするような作品が価値のあるアート作品なのだと思います。
≪コンポジションⅦ≫はその代表例なのです。